25. 日清・日露戦争と東アジア情勢
明治中期、日本は近隣の大大国である「清(中国)」、さらには世界最強の陸軍国と恐れられた「ロシア」との間で、朝鮮半島の支配権や東アジアの勢力争いを巡り、二つの大きな戦争に突入していきました。今回は、日清・日露戦争のプロセスと、その結果として大きく塗り替わった東アジアの地図や情勢を分かりやすく解説します!
1. 日清戦争(にっしんせんそう、1894年)
19世紀の終わり、朝鮮半島の支配権をめぐって、近代化を進める日本と、それまで朝鮮の宗主国(支配国)であった清との対立が激しくなりました。
① 甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)
1894年、朝鮮で東学(儒教や仏教を交えた新宗教)を信じる農民たちが「外国の排除」と「政治改革」を求めて大規模な反乱を起こしました(甲午農民戦争)。朝鮮政府の要請で清が、そして日本も自国民の保護などを名目に軍隊を派遣したことで両軍が衝突し、日清戦争(1894年)が始まりました。
② 下関条約(しものせきじょうやく、1895年)
最新の西洋式の兵器や近代的な訓練を受けた日本軍が圧倒し、大勝利を収めました。1895年、日本の伊藤博文・陸奥宗光と、清の李鴻章(りこうしょう)の間で下関において講和条約が結ばれました。
① 下関条約の主な内容(テスト必須!)
- 清は、朝鮮の完全な独立を認める(清の支配から離す)。
- 清は日本に、遼東(リャオトン)半島、台湾、澎湖諸島を譲る。
- 清は日本に、賠償金2億両(テール)(当時の日本の国家予算の約2.5倍)を支払う。
③ 三国干渉(さんごくかんしょう)
下関条約の調印直後、東アジアへの進出を狙うロシアが、ドイツやフランスを誘って、日本に対し「遼東半島を清に返しなさい」と強い圧力をかけてきました。これが三国干渉(さんごくかんしょう)です。
三つの大国を同時に相手にする軍事力はなかった日本は、悔しさを堪えて遼東半島を返還しました。国民は「臥薪嘗胆(がしんしょうたん/我慢して強くなること)」を誓い、対ロシア感情が一気に悪化しました。
図1:ロシア・ドイツ・フランスの3国から圧力を受けて遼東半島を返す日本のイメージ
2. 日露戦争(にちろせんそう、1904年)
日清戦争に敗れて清が弱体化すると、ロシアは満州(中国東北部)に軍を駐留させ、さらに朝鮮半島へ支配を広げようとしました。これに危機感を覚えた日本は、ロシアと対立していたイギリスに接近しました。
① 日英同盟(にちえいどうめい、1902年)
1902年、日本は世界最強の海軍国であったイギリスとの間で軍事同盟である日英同盟を結びました。ロシアの南下政策を抑え込みたいという利害が一致したためです。これにより、日本は大国ロシアと戦う後ろ盾を得ました。
② ポーツマス条約(1905年)
1904年、ついに日本とロシアの間で日露戦争が勃発しました。日本は奉天会戦(陸上)や、東郷平八郎率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を全滅させた日本海海戦(海上)で勝利しました。しかし、両国ともに国力の限界に達したため、アメリカの大統領(セオドア・ルーズベルト)の仲介により、1905年にアメリカのポーツマスで講和条約が結ばれました。
① ポーツマス条約の内容と国内の暴動
- ロシアは、日本の朝鮮半島における優越権を認める。
- ロシアは日本に、旅順や大連の租借権、南満州鉄道の利権、樺太の南半分を譲る。
- 賠償金は「なし」。
※戦争のために重い税金に耐え、賠償金を期待していた日本国民は「賠償金ゼロ」に激怒し、東京で日比谷焼打事件(ひびややきうちじけん)という大暴動を起こしました。
図2:バルチック艦隊を迎え撃ち、圧倒的な大勝利を収めた「日本海海戦」のイメージ
3. 韓国併合と辛亥革命
二つの戦争に勝利した日本は、東アジアでの勢力を一気に拡大していきました。
① 韓国併合(かんこくへいごう、1910年)
日露戦争後、日本は韓国(大韓帝国)を保護国とし、支配を進めるための機関(統監府)を置きました(初代統監は伊藤博文)。韓国国内では激しい抵抗運動(義兵運動)が起きました。
1909年、ハルビン駅で伊藤博文が韓国の独立運動家である安重根(アン・ジュングン)に暗殺される事件が発生。これをきっかけに、日本は1910年に韓国を完全に国の領土としました。これが韓国併合(かんこくへいごう)です。
日本は漢城(ソウル)に朝鮮総督府を置き、朝鮮の人々に名前を日本風に変えさせたり(創氏改名)、日本語教育を行うなど、過酷な同化・植民地支配を行いました。
② 辛亥革命(しんがいかくめい、1911年)
隣国の中国(清)では、外国の支配や清の無能さに怒った民衆が立ち上がりました。孫文(そんぶん)が唱える「三民主義(民族・民権・民生)」の思想に影響を受けた軍隊や民衆が1911年に革命を起こし、清を滅ぼしてアジアで最初の共和国である「中華民国」を建国しました(辛亥革命)。
🔥 この単元のテスト対策・暗記のコツ
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日清戦争(1894年)と下関条約(1895年)の年号:
・1894年:「ひとまず走(1894)れ日清戦争」
・下関条約で得た賠償金は2億両(テール)、割譲地は遼東半島、台湾。 -
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三国干渉の記述問題対策(超定番):
・「なぜ日本は下関条約で得た遼東半島を清に返還したのか?」
・解答:「ロシアがドイツやフランスとともに、日本に対して遼東半島を返還するよう圧力をかけたから(三国干渉)」 -
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日露戦争(1904年)とポーツマス条約(1905年)の対比:
・1904年:「人暮れ(1904)て日露戦争開戦」
・ポーツマス条約で得た領土は樺太の南半分。
・賠償金はゼロであったため、不満を持った国民が日比谷焼打事件(暴動)を起こした因果関係がよく出題されます! -
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韓国併合(1910年)と辛亥革命(1911年、孫文):
・1910年:「特権入れ(1910)て韓国併合」
・暗殺されたのは伊藤博文、暗殺者は安重根。
・「1911年に中国で起きたのが辛亥革命、指導者は孫文です」