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歴史・近代 | 定期テスト対策&高校受験の基礎固め

24. 大日本帝国憲法の制定と条約改正

10年後に国会を開くことを約束した明治新政府は、欧米に対抗できる国づくりの総仕上げとして、憲法の制定と国会の開設を急ぎました。また、長年の課題であった「不平等条約の改正」という悲願を果たす戦いも始まりました。今回は、日本初の近代憲法である「大日本帝国憲法」の仕組みと、条約改正を成し遂げた二人の外相のドラマを解説します!

1. 大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう)の制定

政府は、日本の近代国家としての枠組みをつくるため、まずは内閣制度を創設し(1885年)、初代内閣総理大臣に伊藤博文(いとうひろぶみ)が就任しました。伊藤は憲法案をつくる中心人物となりました。

① プロイセン(ドイツ)の憲法を手本に

伊藤博文はヨーロッパへ渡り、各国の憲法を調査しました。その中で、君主(皇帝)の権限が非常に強く、議会の力が抑えられているプロイセン(ドイツ)の憲法を手本にすることに決めました。これは、日本でも天皇を中心とする強い政府をつくりたかったためです。

政府は、民間の運動家たちがつくった基本的人権を重視する草案(私擬憲法)を完全に無視し、極秘裏に憲法づくりを進めました。

② 憲法の発布(1889年2月11日)

1889年2月11日、大日本帝国憲法が発布されました。これは、天皇が国民に恵み与える形をとる欽定憲法(きんていけんぽう)でした。

憲法発布

図1:黒田清隆首相に対し、天皇から憲法が手渡される「大日本帝国憲法発布式」のイメージ

① 大日本帝国憲法の特徴

  • 天皇主権:国の最高権力(主権)は天皇にありました。
  • 天皇の大権:陸海軍の指揮権(統帥権)や宣戦布告、条約の締結などは、議会の承認を必要としない天皇独自の権限とされました。
  • 臣民(しんみん)の権利:国民は「臣民(天皇の赤子)」と位置づけられ、言論や信教、結社の自由などの人権は、「法律の範囲内」でのみ認められました。

2. 帝国議会の開設と「最初の選挙」

憲法ができた翌年の1890年、日本初の国会である帝国議会(ていこくぎかい)が開かれました。

議会は、皇族や華族、多額納税者などからなる話し合い機関の貴族院(きぞくいん)と、有権者の選挙で選ばれた議員からなる衆議院(しゅうぎいん)の二つから構成されました(二院制)。

① 最初の衆議院議員選挙の条件

1890年に行われた第1回衆議院議員総選挙では、投票できる国民(有権者)に極めて厳しい条件が設けられていました。これもテストで非常によく問われます!

「直接国税を15円以上納める、25歳以上の男子」

※この厳しい条件に当てはまったのは、当時の富裕な地主や豪農などに限られており、全人口のわずか約1.1%にすぎませんでした(女性や貧しい人々には一切選挙権はありませんでした)。

3. 悲願!不平等条約の改正

明治政府にとって、幕末に結ばれた「領事裁判権の容認」と「関税自主権の欠如」という不平等条約を改正することは、欧米と肩を並べるための悲願の国家目標でした。この目標を成し遂げた二人の外務大臣の功績を整理しましょう。

担当した外相 達成した年 改正の内容とポイント
陸奥宗光
(むつむねみつ)
1894年
(日清戦争の直前)
領事裁判権(治外法権)の撤廃に成功。
イギリスとの間で日英通商航海条約を調印しました。日本国内で罪を犯した外国人を、日本の法律で裁けるようになりました。
小村寿太郎
(こむらじゅたろう)
1911年
(日露戦争の後)
関税自主権の完全回復に成功。
輸入品にかける税率を日本が自主的に決められるようになり、ついに半世紀に及んだ不平等条約がすべて解消されました。

※これらの改正が成功した背景には、日本が近代憲法や法制度を整え、日清・日露戦争で勝利したことで、欧米諸国から「対等な文明国」として実力を認められたことがありました。

🔥 この単元のテスト対策・暗記のコツ

  • 憲法制定の人物と手本
    ・中心人物は伊藤博文
    ・手本にしたのはプロイセン(ドイツ)の憲法。理由は「君主(天皇)の権限が強い憲法を求めたから」です。
  • 大日本帝国憲法(1889年)と最初の選挙(1890年)の年号
    1889年発布:「いや早く(1889)発布だ帝国憲法
    1890年衆議院選挙:「いや丸(1890)く収まる初選挙
  • 最初の有権者条件(100%暗記!)
    ・記述・空欄補充で絶対に出ます。「直接国税を15円以上納める、25歳以上の男子」(全人口の約1.1%)という条件は丸暗記しましょう。
  • 条約改正の二人の外相のペア(超頻出)
    陸奥宗光領事裁判権の撤廃(1894年)(日英通商航海条約)
    小村寿太郎関税自主権の回復(1911年)
    ・「むっつり(陸奥)裁判に勝つ」「小(小村)さい関税」と関連付けて頭に入れましょう。
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